鍵山秀三郎の基本的な生き方・考え方

できるだけ譲る。
  「終身路を譲るも、百歩を枉げず」(『新唐書』)。
  生涯人に道を譲っても、百歩の距離を迂回するわけではない。
  それほどわずかなことだから、こちらから譲るべきであるという訓えです。
   
ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる。
  大切なことは、一歩を踏み出す勇気。
  具体的には、足元のごみを拾う実践から始めることです。
  足元のゴミひとつ拾えぬ人間に何ができましょうか。
   
人を喜ばす。
  人を喜ばすことは、自分が幸せになるためのもっとも近道です。
  人を喜ばすと、喜んだ人が自分の味方になってくれます。
  そうなれば、自然と自分にも運がつくようになります。
  このように、運は人がもたらします。
   
自我を張らない。
  金輪際、自分の性格を変えようとせず、相手に自分の考えを押し付けるのは単なる「わがまま」に過ぎません。
  この「わがまま」は、大人として恥ずべき幼児性の最たるものです。
  相手を認めるということは、この自我を張らないということです。
   
与えられた枠を使い尽くさない。
  与えられた枠を使い尽くすと、ますます枠が狭まります。
  反対に、与えられた枠をいつも少し残すようにすると、枠が広がるようになります。
   
骨惜しみをしない。
  骨惜しみをすると、手抜きをするようになります。
  手抜きをすると、愛着が湧きません。
  結果において、心が荒むことになります。
  尊重される生き方をするには、骨惜しみをしないことです。
   
気づく人になる。
  できるだけ気づく人になる。
  生きていくうえでもっとも大切なことだと思います。
  気づかない人は、自分も周りの人も不幸にします。
  気づく人になるためには、いつも人に喜んでもらえる自分になることです。
   
したたかな人間にならない。
  人間は何歳になっても、純情な心の人でありたいものです。
  そのためには、小さなことにも心ときめかせながら経験していくことが大切。
  したたかな人間にだけはならないことです。
  したたかな人は、周囲の人を憂鬱にします。
   
攀念痴をもたない。
  「攀念痴」とは、人を恨む、憎むという想念の意。
  人を恨む、憎むという想念は、自分のエネルギーをすべて失います。
  攀念痴を抱いた人が不幸になります。
   
深めると広がる。
  人が行き詰まるのは、いつまでも同じことを同じやり方でしているからです。
  行き詰まらないためには、深めることです。
  深めると自然に広がるようになります。


                   

                    

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